ふと気付いたメモです。
甲州街道は少なくとも仙川付近まで稜線上を通ります。この先で、多摩川縁の低地に降りますが、そこまでは安定した稜線上を進みます。
甲州街道にほぼ平行する京王線も同じです。
高低差はあまりなく、ほぼ安定的な高さの土地が続きます。
ところが、井の頭線は違います。明大前から渋山で次々と稜線をぶち抜いて、新しい低地と交差していきます。最後にはトンネルを抜けて全く違う渋谷側水系の谷である渋茶に達して終わります。
また、実は小田急も同じであることに気付きました。河川跡の低地をよく使う他、そういった両線と谷を貫いて進みます。それは、京王線よりも南を通す地形的な必然とも言えますが。
ともかく、代々木上原から東北沢まで歩いてあまりの高低差に驚きながらそう思いました。
そういう意味で、京王線は非常に恵まれた条件で線路が敷けたのだな、と思います。逆に、後発の小田急や井の頭線は、先行業者と当たらないために今一つ条件の良くない土地を経由するしかなかった、とも言えます。
もう1つ、井の頭線はむしろ京王よりも小田急と相性が良いと言われる理由も何となく分かった気がします。
(とはいえ、神田川に沿って進む永福町から吉祥寺までは京王と似た安定的な高さの土地を使っているとも言えるのですが……)